私の目指す生き方とは・・・・
矜持(きょうじ)という言葉がある。自分の能力を信じて、誇り(プライド)を持つこと意味します。言い替えると「自分をコントロールする」いう重要な意味も含んでいます。
さらに補うと「周囲に流されないで自分をコントロールする」、「欲望に流されないで自分を抑制してつつしむ」となります。
私自身がどこまでそうなれたかは自ら判断することではありませんが、かくありたいと思っていることは確かです。しかし、一旦自己から離れ、社会やビジネスという視点では、目先の売上や利益が最も重要視されてそこに価値が置かれますし、社会的な評価を受けます。このような現代の価値観の社会では、コンプライアンスは重視されてはいるものの、人の道からは外れるようなことが起こってしまいます。たとえば、スーパーで売られている牛乳やお菓子などは、金額は変わっていないのにいつのまにか内容量が減っています。バレにくいようにして消費者を騙しているわけです。もしあなたが個人商店の店主や零細企業の社長だったら、また、親しい友達に自分が作っているもので、このような行いをやりますか?それは、プライド(=矜持)が許さないでしょうね。ところが、ビジネスとなると社員は平気でそれをやり、会社も立派に企業倫理を守っている(確かに守ってはいますが・・)といいます。このことに疑問を感じた一社員が、企業組織の中で自分のプライドに従って行動しようとすると、周囲から浮いて居心地が悪くなり、評価は下がってサラリーマンとしては成功しないでしょう。
なぜか。人は一人でいる時は行儀がいいのに、組織の一員になった途端に行儀が悪くなります。どうしても「周囲に流される」のですね。では一人なら常に良い意味でのプライドを持つことができるのかというと、残念ながらそうではない人も少なくないという現実があります。誰も見ていないプライベート空間や他人の視線が無いところでは様々なことが起きます。人の価値観(=何を大切だと思って生きるか)はさまざまです。一見理性的に振舞っていても陰でずるいことをしている人はたくさんいます。一対一で相手が見えている時はそれなりに遠慮ができる人でも、不特定多数に対しては早い者勝ちとか買い占めといった行動を平然と行います。人目を気にするくせに根底には自己中心主義が隠れています。
矜持なき人は、矜持ある人の行動を理解できないだけなら良いですが、不愉快で腹立たしく感じます。真に矜持があって、周囲に流されないで行動できる人は少数派ですし、社会的にはなかなか陽の目を見ることがありません。多くの人は、心の中では良くないことだと思っていても、周囲の空気に逆らうことで、組織内での居心地や社会的地位や収入の危険を感じると、率先して忖度(そんたく)行動をして、圧力に屈します。いじめを黙認したり加担してしまうのも同じことです。心の中で理解していても、行動ができなかったら矜持を正す人とは言いません。
矜持を持った生き方を貫こうとすると、世渡りで苦労して出世が遅れたり、周囲から妨害されたり、目先の利益を逃すのが今の社会です。周囲にいる流される人や矜持を欠いた人を敵にまわすわけですし、それが自分が属する例えば会社や同僚や上司やその権力だったりとなるわけです。
「矜持」には、人が人らしく生きるために欠かせない要素だと思います。「相手に媚びない、相手を見下さない、どんな相手に対してもプライドとリスペクトを持って対等に接する」ことが大切だと言えます。なぜならば、根底には自信のなさやプライドの欠如を隠そうとする意識が働いているからです。プライドがない人ほど地位や権力を欲しがって自分を大きく見せようとします。腕を組んでのけぞり、上から目線で人と接したり、お店でクレームをつける「店長を出せ、社長を出せ!」という見苦しい態度になります。出入りの年長の業者を怒鳴ったり、机を叩いて恐喝まがいのことをする若い社員が出てきます。先に言ったように、自信のなさやプライドの欠如がそういった行動を起こさせます。自信やプライドがない人は相手に対するリスペクトがありません。
真のプライドがある人、すなわち矜持がある人は、どんな相手に対してもひとりの人としてリスペクトを持って対等に接することができます。弱者に対しては膝をついて目線を合わせて話しかけますし、相手がどんな地位や有名人であっても動じることなく普通に会話ができます。そういう人の姿を見たかったら、天皇皇后両陛下の災害慰問の様子を思い出してください。県の職員が立ったまま被災者を見下ろしている中、天皇という立場の方が膝を床について、深いリスペクトを持って人々と対等に接しています。
しかし、こういう接し方を社会や職場で貫こうとするとやはり周囲と調和がとれません。相手があなたを目下だと思って見下している時、相手は媚びた態度をまさに期待しています。それなのに対等に接しようとすると、相手は腹を立ててあなたを嫌うでしょう。ビジネスとしては上手くいかないでしょう。
しかし、私が大切にしたいと思うのは、それでも、相手や自分以外の人の気持ちを思うということです。自分がこういう行動や発言をしたら、それは相手の立場からみてどうなのだろう、相手はどう感じるだろう、と思いやる態度を大切にしたいと思っています。しかし、自分を中心に置いてしまうと相手が見えなくなります。「それくらい知っているだろう」「そんなことも知らないの」という態度は、自分を基準にして相手を見てしまっているからです。自分ができることは相手もできると思って一方的に接してしまう。相手が聞きたいことではなく自分が言いたいことを語ってしまう、自分にとっての当たり前が相手にとっては当たり前でないことに気づきません。善意でよかれと思ってしている行動が、一人よがりであったり、相手にとって迷惑であることが意外に多いのです。
私が!私が!と自己中心にならずに、相手の気持ちを考えてそれを行動に生かすのはとても難しいことです。たかがエスカレーターを乗るにしても我が先と神経をとがらせて乗ります。そんな競争で何秒短縮できるのでしょうか。短縮することで何か得になることがあるのでしょうか?そんな世の中で人々が幸せに暮らしていけるとは到底思えません。たまには一歩他人に譲る行動も良いきっかけになるかもしれません。
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