60近くになって
多少なりとも長年音楽に触れてきて、やっと、自分で「このように」音楽を奏でたいうという欲求が強くなってきた。特にクラシック音楽に関しては、決められた線路の上に、どのような電車を走らせられるのかという、限られた車両限界の狭い範囲でどのように表現をしたら良いのかと、考えることが多くなってきたと感じる。それも、このような私に付き合ってくれる、友達のお影なのかもしれない。感謝しなくてはなりません。狭い中での表現方法ってとても難しく、写真のようには自由に行かない難しさがある。そういう意味ではクラシック音楽って、広義で考えると本当は「未完成」なのかもしれない。
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